- 2008-08-22 (金) 11:26
- キッズ
先週の土曜日、数年ぶりの同窓会に行ってきた。
プチ同窓会と言った方が適切くらいの超内輪な集まりで、久しぶりの旧友たちとの話に花が咲く。
旧友たちのほとんどが結婚し、そして結婚している者には全員子どもがいた。
同じ高校出身とは言え、みんな育ってきた環境はまったく違うので、もちろん自分の子どもに対する教育方針も十人十色だ。
その子の高校生活からは想像もできないくらい子育てに限ってはキチンとしたり、自分が育ってきた環境整備を自分の子育てにも大いに反映させている場合もある。
もうすぐ20年来にもなろうかという旧友の新たな面を見る機会があるとは、思いもしなかった。
最近、ハルたちが通っている保育園でちょっとした問題が一部のところで起こった。「一部」というのは問題視する親たちがいる一方で、傍観を決め込む親もいるからだ。
もちろん我が家は「完全傍観型」だ。
子どもに直接的に怪我や精神的ダメージなど被害が及ぶというなら別だが、先生同士のイザコザや子どもに昼寝を長時間させるのは先生がサボリたいためで職務怠慢だなとと不当な批判をする気はない。
モンスターペアレンツという実態も確かに存在する一方で、精神的に成熟しきれていない指導者(先生)もいる。
先生=聖職という時代ははるか昔の話だが、そんなに昔の教職者は偉大だったのだろうか?
むしろ精神的にもスキル的にも未熟な社会人はどこにでも、どの時代にもいる。未熟な企業人は許されて、教育者だと問題視されるのか。
ならば、ちょっとしたミスを犯した教師を許すことができず、吊るし上げ、ミスに対する罰が甘いなどと園長に詰め寄り、親同士で徒党を作り問題を過大にする親の方はどうだろう?
精神的に未熟な親は問題ではないのか?
教師も親も子どもを教育する立場という点では同じだ。教師はお給料をもらっているから責められる? でも親と違って、替えは利く。親は1人しかいないけど、替わりの先生はいくらでもいる。それからすると、未熟である親の責任の方がはるかに重いような。
責任のなすり合いをするより、親も教師も互いに未熟である、日々成長であると認め合って、ではどうすれば子どもにとって一番良い環境を作れるか話し合う方が、はるかに建設的であると思うのだけれど・・・。
まぁ、聖職と言われた時代に比べ、今の教職員が使命感に溢れ、責務に燃える人材とは言いがたいのかもしれない。でもそれは親だって同じ。
ちゃらんぽらんに子育てしている身としては、自分の未熟さに本当に呆れる。5歳のハルの方がよっぽどオトナだ。我が家では、ハル父の存在なしでは子育ては赤点。先生や同じクラスの子の協力なしでは、社会性も身につかない。
「自分ひとりで大きくなったと思うな」と親はよく子に言うけど、
「自分ひとりで育てたと思うな」と親も肝に銘じなければいけないのよね。
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コメント:1
- ko 08-08-27 (水) 17:30
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ひとりでは大きくなれない・・・のよね、ホントに(笑) 多謝!
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